昭和45年のお話  1970年 私が31才、当時の総理は鈴木善幸の時代。職人として技術的にも充実していた頃の思い出に
残る現場で外部からは洋風に見えます、1階の内装が洋風で2階は和風に設計されています。

  門に五葉松の門被りお庭も和風庭園に仕立てられ穏やかに四季を迎え楽しめる住まいとしての構えが整いました。
  当時31才の私ですが腕には自信が有りました。このお屋敷の肝心な部分は全て私が施工させて頂きまして、有りがたく又深く感謝し思い出に残る現場として私の歴史の一頁と成りました。
  廊下に囲まれた手前六畳と八畳の通し間柱は吉野産檜無垢材で深川木場の専門店で仕入れた特選品、色艶の良さや手触り・薫り又刃切れの良さ、造作を手掛け最高の質感に夢中になれた。
 床の間 本床 ホンドコ と言って、右左床が分かれ書院窓が伴ない違い棚に地袋・戸棚 美術品などを飾り保管します。
 床柱 中央は無垢黒檀で色艶ともに申し分なく、固くて重く一人で担ぐのがやっと石と同じです、刃物も良質でないと刃が立ちません。
 廊下を隔て、書院窓を通した自然光が床の間に柔かく差し込み無双に掛かる掛け軸や美術品を引き立てる効果を見せています。
 床柱に止まる鴨居・長押は職人の腕の見せ所、長押は雛止めと言って特殊な止め方をします。吉野杉の鴨居に秋田杉の長押材質の良さは天下一品。
 お客様のご希望で、稲荷神社を祭りたいとのお話に、器用な私の父定義が全て手造りで仕上た一品です。
 小さいとは言え流れ造り一間社じまりの本格的な宮造り、私も父の器用さには驚き感動致しました。
 何処から見ても本物だ!!!、銅葺き屋根を作った板金屋さんも仕事させて頂いて感激致しておりました。
 大工とスズメは軒で泣く、と言われます。その構造の難しさから皆苦労するのです。社寺・仏閣については私のコラムもありますので是非ご覧下さい。
 正面柱の大きさが全体の割付寸法の基準になる事や、虹梁・像鼻・蛙又・斗枡等、尾洲檜材で木組みの造りは本格的な物です。
 大工は、生涯修行の気で事に当たる引き締まった心が必要だ、基礎・骨組み・雨じまい・設備機器の収まり・左官との取り合いや内装工事の収まり、全てが大工職の統括監理の纏めによって収まるので職人の質は奥が深いものです。